テレビの中の出来事だと思っていた
駅伝は、ずっとテレビの中の出来事だった。
正月に流れてくる、少し遠い世界の話。
感動はするけれど、自分の生活とは切り離されたものだと思っていた。
けれど今年、ふとしたきっかけで、その距離が縮まった。
皇居ランで感じた「現実の重さ」
駅伝に触発されて、皇居ランを実行した。
走りながら大手町前を通ったとき、頭に浮かんだのは、あのゴールまで駆け抜けるランナーたちの姿だった。
すべてを同じように体感できたわけでは全くないが
息が上がり、足が重くなり、
「ここを何万人もの視線の中で走るのか」と思った瞬間、
テレビで見ていた光景が、急に現実味を帯びて迫ってきた。
帰宅後、改めて駅伝の映像を見返した。
そのとき、以前とはまったく違う感情が湧いてきた。
タスキは、一人のものではない
駅伝で、すべてのランナーがタスキをつなげるわけではない。
その事実が、以前よりも強く胸に刺さった。
ここまで来るまでに、
家族がいて、
先輩がいて、
指導者がいて、
共に走ってきた仲間がいる。
タスキには、そのすべての想いが縫い込まれている。
だから重い。
だから簡単には手放せない。
限界に挑み、ライバルの背中を追い、
それでも前に進む理由が、あの細い布の中に詰まっている。
父として感じた、少しの後悔
父としての自分はどうだろうか。
振り返ると、それなりに努力はしてきた。
それなりに壁も越えてきた。
けれど、
「すべてを賭けて、全力で何かを成し遂げたか」
と問われると、少し言葉に詰まる。
若さゆえにできたはずの挑戦。
仲間とぶつかり、支え合い、限界までやり切る経験。
それを十分に味わえなかったかもしれない、という小さな後悔がよぎった。
だからこそ、思う。
自分の子どもには、
仲間と共に、何かに本気で向き合う経験をしてほしいと。
もう一度、前に進む力をもらった
駅伝も、若さも、スポーツも、
ただ美しいものではない。
苦しくて、逃げたくて、報われない瞬間も多い。
それでも人は走る。
誰かの想いを背負って。
今回、改めてその姿から、
自分ももう一度、前に進む力をもらった気がしている。
読者への余白として
人は年齢や立場が変わると、
同じ光景から受け取る意味が変わる。
もし次に駅伝を見る機会があったら、
走る速さだけでなく、
タスキの重さや、その先に続く人生に、少しだけ思いを馳せてみてほしい。
きっとそこに、
今の自分に必要なヒントや、
次の一歩を後押しする何かが、静かに置かれていると思う。


