駅伝に心を動かされる日
正直に言うと、これまで駅伝に強い関心を持ったことはなかった。
お正月にテレビをつければ流れている、いわば「毎年そこにある風景」。
見ていないわけではないが、特別に感情が揺さぶられることもなく、なんとなく通り過ぎていた。
きっと同じような人は多いと思う。
駅伝は好きな人が見るもの。
そう無意識に線を引いていた。
歴史を知ると、風景は意味を持ち始める
改めて駅伝の歴史を知る中で、その印象は大きく変わった。
お正月の風物詩として定着するまでに、長い時間と積み重ねがあったこと。
大学生という、まだ社会に出る前の若者たちが、努力と覚悟を背負い、何十年も人の記憶に残る舞台を走り続けてきたこと。
それは単なる競技ではなく、
「次の世代が、社会に何を残せるのか」
を毎年問い続けてきた営みだったのだと気づかされた。
遠い存在だった駅伝が、急に身近になった理由
特に、北海道に長くいた自分にとって、関東の駅伝は物理的にも心理的にも遠い存在だった。
土地の空気も、大学文化も、どこか別の世界の話に感じていた。
けれど仕事で大学生と関わるようになり、視点が変わった。
歴史のある大学には、驚くほど多くの出身者がいて、
その人たちが今も誇りを持って母校を語る姿を目にする。
駅伝の応援が根強い理由は、強さだけではない。
人と人、世代と世代をつなぐ「記憶の回路」が、大学という単位で残り続けているからだと、少し腑に落ちた。
親になり、仕事をする中で変わった視点
もう一つ、大きな変化がある。
親になったこと、そして仕事を通じて若い世代と向き合うようになったことだ。
結果だけでなく、
なぜそこに至ったのか。
誰の支えがあったのか。
その経験が、次にどうつながっていくのか。
そうした背景に自然と目が向くようになった。
駅伝で走る大学生たちの姿は、
「今この瞬間」だけでなく、「これから社会に出ていく途中の一場面」なのだと見えるようになった。
これからは、通り過ぎずに見てみようと思う
もう駅伝を、ただの正月の映像として流すことはできない。
そこにあるのは、積み重ねてきた時間と、人の選択と、未来への途中経過だ。
次に駅伝を見るときは、
勝敗だけでなく、走っている理由や、その先に続く物語にも目を向けてみたい。
読者への余白として
人は、立場が変わると、同じ風景を違う意味で見るようになる。
駅伝も、仕事も、日常も、きっと同じだ。
もし今年のお正月、あるいは次の大会で、
少しだけ立ち止まって走る姿を眺めることがあったなら、
その違和感や小さな引っかかりを、そのまま大切にしてほしい。
興味を持たなかった過去があるからこそ、
気づいた瞬間は、意外と深く心に残るものだから。


