抹茶について

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なぜか、抹茶だけは素通りできない

今日、たまたま歩いていた先で抹茶のスイーツに出くわした。
理由はうまく言語化できない。けれど、抹茶を見ると不思議と足が止まり、
「今しかない気がする」という感覚に襲われる。

限定と書いてあるわけでもないのに、
なぜか抹茶には限定感がある。
この感覚、きっと私だけではないだろう。


大人になると、苦味が心地よくなる

若い頃は、甘いものが正義だった。
ところが最近は、抹茶の渋みや苦味が、やけにしっくりくる。

緑という色の安心感なのか。
それとも、甘さの奥にある苦味が、経験を重ねた感覚と重なるのか。

抹茶は、大人になるほど似合ってくる食材だと感じている。


抹茶は「味」ではなく「背景」で選ばれている

考えてみると、抹茶は単なる飲み物やスイーツではない。
その背後には、長い歴史がある。

抹茶は、京都を中心に発展し、
茶道という文化の中で「心を整える時間」と結びついてきた。
静けさ、間、簡素。
それらは、日本の美意識そのものだ。

だから抹茶は、
美味しいから選ばれるだけでなく、
何か大切なものに触れている気がするという感覚を呼び起こす。


世界が抹茶に惹かれる理由を、大阪で見た

その確信を強めたのが、大阪に行ったときの体験だ。
心斎橋付近のドラッグストアには、必ずと言っていいほど抹茶の商品が並んでいる。
ドン・キホーテに至っては、1階がほぼ抹茶一色だった。

明らかに、インバウンド需要を意識している。
だが、売れているのは理由がある。

海外の人にとって抹茶は、
飲み物ではなく「日本を体験する入口」なのだ。

健康、禅、ミニマリズム。
抹茶はそれらの文脈と結びつき、
世界の感性を静かに掴んでいる。


抹茶は、感情に投資されている

経済や金融の視点で見ると、抹茶はとても面白い存在だ。
機能や価格ではなく、
意味と物語に価値が乗っている。

だから価格が高くても選ばれ、
だから流行が一過性で終わらない。

抹茶は、
効率よりも余白を大切にする価値観の象徴でもある。


これからも、抹茶を選ぶ理由を大事にしたい

これから先も、きっと私は抹茶を見かけるたびに立ち止まる。
それは味覚の問題だけではない。

忙しさの中で、
少し立ち止まる理由を与えてくれるからだ。


読者への余白として

もし次に抹茶を手に取ることがあったら、
その背景にある時間や文化にも、ほんの少し思いを巡らせてみてほしい。

なぜ惹かれるのか。
なぜ落ち着くのか。

その答えは、
意外と自分自身の価値観を映し出しているのかもしれない。

抹茶は、味わうだけでなく、考える余白をくれる存在なのだから。

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